HOME > BLOGS > グローバリゼーションの中の経営管理システム (長谷川 敬一) > 経営管理と欧米の経営学諸説との接点(2)

グローバリゼーションの中の経営管理システム

経営管理と欧米の経営学諸説との接点(2)

 

かつてアニマルと呼ばれた日本のビジネスマン

 

 私的な経験で恐縮だが、私は74年に新卒者として日本の製造業に就職している。前年に、為替の変動相場制への移行や第一次オイルショックによる原油の高騰があり、就職市場は冷え込むだろうと覚悟していたが、幸い日本企業は新卒採用枠をそれ程減らさなかった。高度成長は一服していたが企業はその先の展望をもっており、雇用環境はまだまだ豊かであったといってよい。

 

 入社式で、グループ企業の新入社員数百人を前に、当時の社長が冒頭に放った質問を今でも鮮明に憶えている。 「エコノミック・アニマルのアニマルとはどういう意味だと思う。」 それまで米国の自動車産業の拠点であったデトロイトは、日本車の大量輸出により、失業の都市になっていた。エコノミック・アニマルとは、そうしたことに象徴される当時の日本の企業やビジネスマンの習性的なふるまいに対して米国のマスメディアが与えた名称である。社長は、数人に答えを求めた後、「一次元思考の人間をそう呼ぶのだろう。」と締めくくった。アニマルは欲望の前には周囲を顧みず手段を選ばないものの譬えであり、思考と行動の多次元性こそがこれからの国際ビジネスマンに求められることを伝えたかったに違いない。 

                  

トランスナショナル・ソリューションの背景

 

 さて、先に紹介したバートレット&ゴーシャルによるトランスナショナル・ソリューションが提唱されたのはそこから15年程後のことである。国際政治は融和の時代を迎えていたが、ベトナム戦争からこの間、ドルの価値は下落し続け、プラザ合意後も安い米ドルを日本円やドイツマルクが支えるという、基軸通貨の不安定な体制が続いた。円はこの時期、120円まで上昇した。日本の財閥系企業がニューヨークのシンボルビルやカリフォルニアの名門ゴルフ場を買収したことが思い起こされる。そして日本はまさにバブル崩壊の入り口にいた。この80年代後半は、米国を初めOECD諸国全般に、もはや経済の協調体制は選択の余地のないものとの共通認識が行きわたった時期ではなかっただろうか。

 

 多国籍(Multi-national)経営論、国際(International)企業論、Global化という概念は70年代に既に存在していたが、この経営管理モデルは、そうした国際操業企業を明確に3つのパターンに類型化し、それぞれの特徴と重要な経営管理課題を提示している。国別密着適応型のMulti-national組織においては、多次元的な組織構造や専門特化された役割間の柔軟な整合過程の存在が、得てして集中型の画一統制組織に陥りがちなGlobal組織においては、組織内に多様性を正当化することが、そして、親会社の研究開発ノーハウを移植していくInternational組織においては、全体ビジョンの共有と個人の献身の獲得が、それぞれの個別経営管理課題として説かれている。また、それらを統合した超国籍組織の成功事例として、統合ネットワーク構造が確立されていることや意思決定については集中化も分散化も採用されていないことに触れ、3つの部分完結性を否定し、経営者が総合的かつ臨機応変に3つを補完的に使い分けるための新しい心構えを以下のような表現で示している。「課題は精巧(sophisticated)なマトリクス構造を構築することではなく、経営者(managers)の心の中にマトリクスを創造することである。」(注)

                                    

その後のグローバルな社会環境の変化

 

 このソリューションは、当時よりもグローバル化の進行が著しい現在の方が、わが国の経営者により大きなリアリティーをもって受け入れられるかもしれない。しかし一つだけ留意すべきことがあるように思われる。それはこのソリューションが、現下で進む情報革命以前に提唱されたものであり、この間のグローバルな社会環境の変化を吸収していないという点である。

 

 ここ数年の世界各地で起きたソーシャル・ネットワーク・システムを介した政治的、社会的な集団プロテスト行動、あるいは国際的なイベント、インシデントのネット上での放映や発信に対する世界各地からのインターアクティブなフィードバック、これらが意味するところは何なのだろうか。国籍を越えた個人レベルのネットワークが既に存在していること、それによってグローバルな共通価値が自然生成されてきていること、そしてそのことが各国地域におけるこれまでの個々の異質な価値感に包容力と柔軟性をもたらしていることを意味してはいないだろうか。

 

 一方、企業経営においても、経営リソースのグローバル分散パターンは多様化してきており、購入、生産、販売、研究開発、本社、等の各機能のロケーションは、その時の競争優位性判断に合わせて柔軟に組み合わせなければならない時代だといわれている。企業毎に経営環境は様々であろうが、比較的激しい変化にさらされている企業群にあっては、先のソリューションにおける異質な価値感の存在を前提にしたマトリクス経営は、たとえそれが柔軟性の高い経営者の心の中の切り替えではあっても、複雑な状況変化に有効かつ俊敏に機能していくだろうか。

 

経営管理にどんな思考法が求められているのか

 

 幾つかの企業の実例に照らすと、長年、国際操業の舵取りを経験しているわが国の企業の中には、それぞれの経営環境に適した新しい思考法や手続をすでに実践し、そのエッセンスを体得している企業も多いことが感じられる。傍らで見ている立場から僭越ではあるが、一つの有効な可能性として指摘したいのは、権威の現場作業集団への移転あるいは容認である。本来、激しい環境変動下の組織権威は、その時点で問題意識が最も高い集団や個人に集まり、その間を巡回するといわれている。企業の上位の経営価値を明確に定義し、全社での共有を徹底すること、バランスよいチームからなる現場作業集団への適切な権威付与により、その主体的な意思決定を重視すること、現場作業集団の意思決定の評価、作業集団間での情報共有、全体との整合調整作業を経営管理者の重要な責務とすること、などが要点としてあげられる。

 

 国際社会環境との関係における思考法としてよく取り上げられる江戸時代の近江商人の経営理念、三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」も有効ではないだろうか。取引相手と自社の利害だけはなく、グローバルという新しいより広い世間への利を深く理解することを意味している。地域の歴史、エコロジー、政治経済情勢、様々な価値感、フォークロア、民族気質、等々への理解が前提となるだろう。巧妙で打算的な地域利益還流にはアニマルの臭いがつきまとう。情報に洗練された今の国際社会は、それをすぐに嗅ぎ分けてしまうような気がする。

 

  (次回へ)

 

 (注)引用 Great Writers on Organizations The Second Omnibus Edition 2000 By Derek S. Pugh and David J. Hickson 北野利信訳(有斐閣)

原典 Managing across Borders New Organizational Responses1987, The Transnational Solution 1989 By Christpher Bartlett & Sumantra Ghoshal

go_to_top

ページの先頭へ戻る